衆楽館掲載関連記事


日本経済新聞 2001.12.6

米国向けに備前焼輸出

年明けから米企業と代理店契約

 備前焼の販売店を経営する備前メディアネット衆楽館(岡山県備前市、武用香代子社長)は
年明けから、備前焼を本格的に輸出する。米国カリフォルニア州の企業と代理店契約を結び、
陶器などを扱う店鋪に備前焼を卸すほか、店頭販売もする。同社は「海外に代理店を置いて
備前焼を輸出するのは産地で初めて」と話している。

 代理店契約を結んだのは天体望遠鏡と関連商品の販売を手掛けているヒューテック(ロサンゼルス市)。
衆楽館の商品を米国の西部で独占的に販売し、インターネットでの通信販売を米国全土から
ヒューテックが受け付ける。ヒューテックも備前焼関連のホームページを近く開設し、衆楽館が
運営している英文ホームページと連携して米国での通信販売の拡大を図る。

 ヒューテックは西海岸の陶器店向けに備前焼を卸し、日本料理店への販売も進める。
店頭販売用に衆楽館は食器や日用品、花器など五十種類の備前焼をサンプル出荷しており、
クリスマスシーズンに向けてビールジョッキやコーヒーカップなどを中心に売り込む。
ヒューテック本社には備前焼を展示する。

 ヒューテクは天体望遠鏡の販売でパリとミュンヘンの企業と代理店契約を結んでおり、
将来はヒューテックを通じて欧州向けに備前焼輸出も検討している。初年度の輸出目標額などは
決まっていないが、「当面は年二〇%ほどの伸び率を期待している」(衆楽館の武用健取締役)という。

 衆楽館はネット販売で海外に備前焼販売した実績がある。
( 日本経済新聞 中国経済面より 2001.12.6)


山陽新聞 2001.12.9

岡山孤児院物語

石井十次の足跡 第25、26話より

物心両面で支える
四本柱の武用五郎辺衛

(前省略)
 十次は十一月十四日、音楽隊八人と帰岡の途につくが、その足は兵庫から大阪へと向かった。共栄学園短大の
菊池義昭教授(五二)の研究(「東北介護福祉研究」第3号)では、その目的の一つは、大阪で日向米
販売にからんでの相談だが、これは結局孤児院事業としてはうまくいかなかったようだ。

 十次はその帰岡前、神戸に立ち寄り、一人の病人を見舞った。大恩人だった。
その命はまもなくきえようとしていた。

 病人は武用五郎辺衛(ぶようごろべえ)だった。岡山県和気郡香登(現備前市)の実業家である。大阪で
開かれた近畿キリスト教徒の祈祷会に参加しての帰途一九八七(明治三十)年十一月十四日、神戸で倒れた。

脳血管障害だった。生田神社(生田区)の近くに親類があり、重症の身を横たえていた。その病床を石井十次が
見舞ってほぼ一週間後の二十六日、同地で息を引き取った。五十四歳になったばかり。当時としては
決して若くはないが、とりわけ十次には惜しまれる死だった。

 武用は、立志伝中の人である。貧しく育ち、裸一貫身を起こして、酢の醸造から醤油へも手を広げて財をなした。
思うところあり、十次と前後して岡山基督教会で、宣教師ジェイムス・ペティーから洗礼を受けた敬けんな
クリスチャンだった。

 十次とは上阿知(現岡山市)の診療時代からの知己で、同じ香登の醤油醸造業者増田彦四郎ともども初期の
岡山孤児院を物心両面で支えた功労者だ。この二人にペティー、炭谷小梅を加えて十次は四本柱と呼んだ。

 ちなみに武用、増田の投じた三円八十銭が寄付金のはじまりとされる。香登は早くからキリスト教の広まった
地域で、上阿知からも比較的誓いことから十次は信者に接触を図り、二人と知り合ったのだった。

 武用は心底孤児たちを気に掛けていたらしく、夜中ふっと気になって目覚め、二十キロ近くの道を訪ねて
いったりしたという。むろん徒歩だ。十次の日記には、武用からの差し入れとして、「醤油五升、酢一升」
「玄米壱石、白米三斗」などの記述が随所に見られ、金銭はむろんのこと食料の現物も随分助けられている。

 その葬儀には、孤児院から三百人が参列したというから、当時の院児、職員のすべてだろう。そのなかには
宮崎・高鍋地方で一ヶ月の「公演」を終えたばかりの音楽隊もいて演奏で恩人を送った。

 武用の商売は「株式会社武用五郎辺衛商店」として今も香登の地に健在。四代目光一さん(六八)が、
クリスチャンの立場も崩さず、守っている。

(山陽新聞 岡山孤児院物語 第25、26話より 2001.12.9)


日本経済新聞 2001.3.17

引出物に「紅白」備前焼

 備前焼販売店経営の備前メディアネット衆楽館(岡山県備前市、武用香代子社長)は
白と赤を組み合わせた備前焼を「紅白」というブランド名で売り出す。すでに登録商標の
出願をした。結婚式の引き出物用として、主に結婚式場に売り込んでいく考え。

 備前焼は焼く時の酸素の投入量を調節する事で、焼き上がりの色を白くさせたり、
赤くさせたりできることを活用。ビールコップや湯飲み、コーヒーカップなどの紅白セットをそろえる。
価格帯は四千円から五千円程度を予定している。

 すでに兵庫県と大阪府の催事施設と契約を結んだ。同社は備前焼以外の焼き物についても
同ブランドで販売するため、提携先を探すことも検討している。
( 日本経済新聞 中国経済面より 2001.3.17)


日本経済新聞 2001.3.8

備前焼TV電話で購入

本店・千葉のFC店つなぐ

 備前焼販売店経営の備前メディアネット衆楽館(岡山県備前市、武用香代子社長)は
四月から備前市の本店と千葉県四街道市にあるフランチャイズチェーン(FC)店の間をテレビ電話で
つなぐ。FC店に訪れた消費者が、本店にある在庫をそのまま確認できるようにするのが狙い。
FC店に大量の在庫を置く必要がないため、在庫管理がしやすくなるという。

   利用するのは日本電信電話(NTT)グループのテレビ電話システム。これまで備前市内にある本店と
駅前店の間を試験的につないでいたが、四月から本格導入する。千葉のFC店の在庫が約二百五十点
なのに対し、本店と駅前店には計約二千点の在庫がある。

 同社はすでに電子メールで備前焼の写真をカタログとして送付するサービスを行っているが、
今回のテレビ電話ではFC店に来店した消費者とその場で話をしながら商品をみせられる。

( 日本経済新聞 中国経済面より 2001.3.8)


中国新聞 2001.1.6

新世紀へ飛躍 IT起業家

備前焼ネット販売

商品の画像を送信
他店と在庫を共有

 情報技術(IT)革命が急速に進む中、岡山県内でもインターネット技術の急速な進展にビジネスチャンスを
見いだし、挑戦する新事業が産声を上げている。備前焼のネット販売や学生ベンチャーなど、新世紀に
飛躍を目指す起業家たちを紹介する。

 百二十年前の古い屋敷を活用した備前市伊部の備前焼販売店、衆楽館本館。備前焼窯元の五郎辺衛窯を
中心に、つぼや湯飲みなど約千点を陳列する座敷の一角をパソコンとテレビ電話が占める。同点を経営する
備前メディアネットショッピングセンター(武用香代子社長)が展開するネットビジネスはここから始まる。

 一九九五年からネット販売を手掛ける焼き物業界の先駆け。ホームページには作品約二百八十点を掲載する。

 ネット経由の画像で、一点一点異なる作品の「焼け」を確認できるのが強み。要望があれば在庫をデジタル
カメラで撮影して送信する。個人を中心にネット会員は八百人に上り、取引先も広がった。昨年は六千九百万円
の売り上げのうち、ネット経由が一千万円近くを占めた。

 責任者の取締役武用健さん(三五)は「バブル経済の崩壊と九五年の阪神大震災で備前市への客足が落ち、
売れ行きも落ち込んだ。どうやって生き残るかを考え、インターネットの可能性に着目した」と明かす。

 一昨年にはフランチャイズの千葉店と、直営の伊部駅前店を相次いで開いた。本館と伊部駅前店は
テレビ電話でつなぎ、双方の在庫を見られるようにした。

 「ネットとテレビ電話を組み合わせれば、どこの店でも本館にある数千点の在庫を共有できる」と
武用取締役。首都圏の飲食店などで販売してもらおうと交渉中で、今年は米国での販売も視野に、
販売チャンネルの拡大に力を入れる。

(中国新聞 26面 2001.1.6)